欠片を集めて、2

明日、クリニックで、診察とカウンセリングがあるので、話したい事を整理。



離れていってしまった人、自分から離れてしまった人、の事について、いつまでも、くよくよ考え込んでしまう事がある。



他人からの、期待心、依頼心を感じると、すっとひいてしまう事が多い。
家族、夫、に対しては、お互いに、多少の期待心、依頼心、要求の気持ちを持ち寄って、生活しているから、それは自分にとって、不自然な事ではない(と言っても、過度なものを欲されると、やはりひいてしまうところがある)と思っているのだけど・・・



精神的に、深い部分での話、他人に話し過ぎるのも、持ち寄って来られるのも、しんどいなと感じる。
それはきっと、わたしは、その人ではないから、なのだろう。
その人ではないのに、わたしは、聞いた話を「自分の事」のように「受けて」あげなければいけないような気持ちになる。
だけど、それは無理だから。
「同意」や「共感」は、少しこわいものだと思っている。
「わたしも、そうだ」と言う気持ちが沸く度に、「でも、この人は自分ではない」と言う事を、しっかり意識していないと、引き寄せられてしまいそうで。



他人との距離感を測るのが、とても苦手なのかもしれない。
その原因は、きっと「母」なのかもしれない。



SNSなどで、何か発信する事を、全く知らない人が一方的に見ていたとして、ときどき、その人が、自分に反応をしてくる事もあって・・・
ある時、その人が、ふと、わたしの発信を「もう見ない」と決めた、と言う事を、わたしもまた、一方的に、知って、少しのショックがあった。
それまで、わたしがその人に興味を持つ事がなかったので、わたしから、その人のつぶやきを見る事はなかった。
けれど、ふと、離れていってしまった事に、変なショックを受け、その原因を、モヤモヤと悩み込んで・・・
今まで見ていなかった、その人のつぶやきを、そのタイミングで読み漁ったりして・・・
悪趣味、と言うか、本当に、それは、精神的に良くない事だな、と思いながらも。
離れていってしまった他人が、わたしに「期待」していたものは何だったんだろう?
わたしの言動の、何をきっかけに、見切りをつけてしまったのだろう?
その人は、自身と親の関係に、とても悩んでいるようだった。
わたしのように、病院にかかり、服薬、カウンセリングも受けているようだった。
わたしとその人とのやりとりは、ただの1回だけだったように思う。
「自分も薬をたくさん飲んでいた事がありました、今はとても合う薬に出会えて、処方が減って落ち着いています。Marbleさんも大変でしょう、合う薬が見つかると良いですね。お酒は控えたほうが良いと思います」
と言うような事を、言っていた。
「ずっと、長く、Marbleさんの事を見ていました、こんな風に話しかけるのは、大それた事かもしれません、失礼しました」と言うような事も。
詩、文章を、書く人だったようだ。
興味が向けば、わたしからきっと、フォロー返しをしていたと思う。
話しかけられた時点では、きっと、彼女のつぶやきは、わたしの関心を惹かなかったのかもしれない。



その人が、離れていってから、その人の日々のつぶやきを読み返し、「もしかしたら、この人は、わたしに、親近感を感じていたのかな」「わたしが、もう少し、この人に興味が向けば、フォローしていれば、この人は、わたしから離れていかなかったのかな」などと、本当に、変な事ばかり考えてしまった。


何らかの形で、他人が自分を「苦手」になる事が、わたしは、とてもこわいのかもしれない。
「苦手」と言うほどでもなく「無関心」になって離れてしまった、とも考えられる。
どちらにせよ、自分は、もう、その人にとっては「必要のない人間」なのだと。
そこで、わたしは、自分自身を「否定」された気がしたのかもしれない。
我ながら、身勝手で、傲慢だな、と思った。
そして、急に置き去りにされたような気がして、だったら、むしろ、どんどん他人から嫌われてしまえ、と、きのう一日、ヤケになって、好きなように、独り言を発信し過ぎた。



そんな自分が、自分でも、だんだん、嫌になってきて、それで、きのう夜、自分は「自分」でいたくなくて、だけど、誰にも咎められない「自分」でいたくて、また、ここに、戻ってきたのだろう。


ふう、少し、ぼんやりとしていた事が、鮮明になった。

欠片を集めて

自分にとって、いちばん、切り捨てて置いて行きたいのは「自分」であり、いつでも自由にさせてくれて常に寄り添ってくれるのも「自分」なのだと、少し思えた。



わたしは眠る事が苦手、きっと興奮しやすいのだろう、寝付きも悪いし、眠りも浅い、夢を見ない事がない。
今は、薬を何種類も飲んで、細切れ睡眠、なんだかんだ、トータルで10時間以上は寝てしまう。
寝る前に飲んでいる薬は、ロゼレム、コントミンヒルナミンルーランユーロジンロラメット、そして副作用止めに、アキネトン、ピレチア。漢方薬、抑肝散も、2袋。
主治医に「睡眠のとり過ぎなのでは?」と相談したけれど「あなたはそれくらい眠れないと疲れがとれないと思う、仕方ない」と言われた。



わたしは、皆が眠るころ、いつもひとり。
わたしより「眠れない」人に出会った事がないから、いつも、皆、わたしより先に寝てしまう。
わたしは、その度に、誰も頼れないような、所在ない感じ、宙ぶらりんな気持ちになって、悲しくなってしまう。
そんな話をカウンセリングでふと話した。
「自分より眠れない人に、自分が寝付くまで、寄り添っていてほしいと言うか、見守っていてほしいと思う事があるんです。でも、そんな人はいない。いるとしたら、それは自分自身なのかも」
と、自分でも、思いもよらない結論に達して・・・
カウンセラーさんがしみじみと、
「そうなんだと思う」
と言った。



自分に常に寄り添ってくれる者は、自分自身、だと言う事、それは、みんなそう、だから、さみしくない、さみしがる必要はないんだって事。



わたしは、もう少し、わたしが生きやすいように、踏ん張れるかなあ。

整理したい、ガサガサしてきて、疲れた

久しぶりに、ここに記録を。



今、自分は「自分」でいたくなくて、だけど、誰にも咎められない「自分」でいたくて、また、ここに、ぽつんと。



カウンセリング、なんとか通っている。
一応は週に一度、通う事になっていて、それでも、キャンセルする事も多いのだけど、でも、毎週、自分の中で散らかったり、まとまったりする事を、外に吐き出せる場があると言うのは、かなりの安心になっている気がする。



夫の事で日々揺さぶられ、怒りと悲しみに混乱して、結局は「他人」なのだと言う、やるせなさ。虚しさ。
声を大きくしたところで、一瞬は、ハッとさせる事は出来ても、夫は夫の都合で気持ちの余裕がなくなると、やはりわたしは彼にとってサンドバッグになってしまい、また、疲れて、悲しみに暮れてしまう。



カウンセリング、ここのところ、話しているのは、そんな話ばかり。
「なんだか、ただ、夫婦間での愚痴を吐いているだけになってしまっているなあ」と、そんな話がしたくて、カウンセリングを受ける事にしたわけではないのに、と思う。
けれど、今いちばん、自分の中での、一大事、なのかも。



カウンセラーさんと話していて、印象に残った事だけ、断片的に記録しておこう。



わたしは、他人と接していると、その人に寄り添い過ぎる、と言うか、その人になろうとしてしまう。
だけど、他人は他人なので、自分は自分なので、わたしが、だれかになってしまう事は出来ないし、わたし自身が、わたしでいられなくなる(他人の方に引っ張られる?)事で、何か危機感は持っていて・・・
「あなたは、ずっと、そうして、戦っているのね」
カウンセラーさんはそう仰っていた。



否定から入られる事、誰かに対しての批判を、耳に入れる事、そんな事で、随分、自分の気持ちが掻き乱されるな。
最近は、兄が、母の家で生活していて、毎週のように、食事をいっしょにしたりしているのだけど、
きつい物言いをしがちな家族が多い中、兄だけは、それで今までだいぶ傷ついてきたのだろう、他人を否定してしまう事が、とても嫌みたいで。
もちろん、人間なので「こう言うのは好き、嫌い」はあるけれど、自分の意見をふっと吐き出した後に「でも、それを好きな人もいるわけだから、良い部分もあるのかもしれないね」と言う風な話し方をする。
兄の、そう言う考え方、物言いに、最近わたしは、ほっとしてしまう事がある。
大人になってから、また改めて、自分にとって兄が「安心して接する事が出来る人」になってきている。



家族の良さ、みたいのも、感じる。
父がいない機能不全家族だけども、母にも、兄にも、家族に対して、愛があるのだな、と思える。



はあ、少し疲れた。
また落ち着いて、記録しよう。

嘘と、勘違い、思い違い、誤解、こわい

自分にとっての心配事のひとつが、またひょっこり出てきたなあ。
あんまりその情報を入れたくない、これ以上、それを「良くない事」として引きずりたくない。
相手だってそうだと思うんだよね。
きっと、裏で散々、わたしへの敵意、勝手な誤解や、自分に都合の良い嘘、を撒き散らしているだろう。


わたしは素直でいたいよ。
「嫉妬」や「敵意」を、正しく自分の中に、在ることに気づきたい。その根っこにある、本心を、自分で見つけたいよ。


その、心配事の種、とある知人(以前はよく遊んでいたから、友人と言うべきなのかな?でも、もう交流したくないな)への、不信感を、わたしは、最近、共通の友人たちに愚痴ってばかりだった。
友人たちも、わたしの勢いに乗ってしまい、つい、その共通の知人である人の愚痴を吐いてしまっていた。
わたしは、味方が出来たようで、うれしかったりもした。
だけど、その後、友人のひとりが「あの時、つい、勢いで悪口を言い過ぎた気がして・・・」と落ち込んでいて・・・
わたしがそれを引き出してしまったせいもある、わたし、友人たちが話を聴いてくれるのに甘え過ぎていたなあ・・・と反省。
「もう、距離を置いた人なのだし、これからも自分からは接点を持たないつもりでいるから、これ以上、わたしからは、彼女について愚痴らないようにするね、ごめんね」と友人たちに伝えた。
「気にしてないよ!」
とお返事もらったけれど・・・


うん、自分でもわかってるんだ。
いつまでも、過去、された嫌な事を、ほじくり返して、いつまでも引きずっていてはいけないし、それを、友人達に、同意してほしい、共感してほしい、と望むのは、不純だなって。


というわけで、より一層、その知人との繋がりを断った。
お互いに、その方が良い気がするので。

ひとまず記録

きのう、カウンセリングを受けてきて、印象に残ったこと、記録。



カウンセラーさんの言葉、
「あなたは、あなた自身を、煩わしく思っているのね」
「だけど、あなたは、自分自身を、ちゃんと、認めてあげたいのかも、それで、ここ(カウンセリング)へ来たり、お友達と会ったり、名前を変えて、ブログを書いているのかもね」



わたしがよく陥る「自分がいない(と感じる)」現象を、夫以外の人に、初めて話したな。やっぱり泣いてしまった。


もう少し、いろいろ考えよう。

カウンセリング

去年末から、通院しているクリニックで、カウンセリングを受けるようになった。
女性のカウンセラーさん。
少しずつ、慣れてきたかな・・・
毎回、45分間、話していると、自分でも意識してなかった、気づいてなかった言葉たちが、ポロポロと出てくる。
楽に、安心して暮らしていくには、何が自分をしんどい気持ちにさせているのか、結局浮き彫りにしていかなくてはならなくて・・・
本当に大変な事だなあ。
ときどき向き合って、ときどき逃げ出して・・・
話しながら、泣いてしまう。
カウンセラーさんも、最初は、強く意見を言ってこなかったので、自分で話していく事を、自分で「どういうことなんだろう?」と考えるような時間を過ごしていて・・・
最近になって、少し、カウンセラーさんが、話し終えた後のわたしの言葉を、慎重に、どういうことなのか、まとめてくれるようになり、ああ、なるほど、と感じるようになった。
誰にも話せなかった事、自分でも気づかなかった事、それらを、外側に吐き出せる場・・・
なかなか通うのは大変で、何度もお休みをしてしまっているけれど、しばらくは続けてみようと思う。


通いながら、毎回、日々自分が困惑している事柄の原因は、夫にある、と感じる。


これはカウンセラーさんの解釈だけれど、


夫は、「母親に会うのは悪」「おまえの主治医は、おまえの話だけを聴いてくれて、俺の話はちゃんと聴いてくれない」「カウンセリングに通って、今まで蓋をしていた感情を、無理矢理に蓋を開ける必要はないのでは?逆に調子を崩すかもしれない」「人と1対1で会うのは良くない。距離感が近過ぎるのは良くない」などと言う。
自分に自信がないのは、夫にたくさんの事を否定され続けているので、何が正しいのか?自分が間違っているのでは、と言う思い込みが激しくなっている。
わたしは、夫に一番、理解してほしいのに、どうしても否定から入って来られるので、夫に本心をうまく話せなくなっている。
など。


そうかもしれない、と思う。
だけど、夫からは、なぜだか、離れられない。
カウンセラーさんも言っていた。
「あなたは、彼(夫)の事でたくさん悩んでいて、とても気が滅入っているのに、それでも離れられない。それが、なぜか?まだ、よくわからないのね。今は、それを、どういう事なのか、ハッキリさせるのは、今のあなたには、難しいのかもしれないね」
と。
無理に、早急に、決断するべきではないのかもしれない、と言っていた。


うまく、まとまらないな。
今は、とにかく、藁にでもすがる思いで、通うしかないな、と思っている。
自分ひとりの判断では危うい感じもして。


今週もまた、カウンセリング。

ざわざわとした変化、2

今でも、猫の死を思うと、涙が出てしょうがない。
実家でずっと猫と暮らしていた母が、当然、弱って見える。
それもつらい。
わけあって今、兄が実家暮らししているの、良かったのかもしれない。
猫がいた家に、母がひとりで暮らすには、さみし過ぎる気もして。



毎日のように、母と、直接会ったり、電話したりして、猫の事を話している。
本当に、弱っている母を、どうしたものか、と考えている。
自分がしっかりしなくちゃ、と言う気持ちもあって。
「新しく別の猫を飼えば?」
と言う人もいる。
だけど、死んでしまった猫、あの子じゃないと、嫌なんだよね、って。
代わりなんていないよ。
変化に応じて、気持ちを切り替えるなんて無理だよ。
母が、猫の事を、
「忘れたくないし、吹っ切りたくないし、引きずっていたいんだよ!」
と言っていた。
とても、わかる。
しばらくは、そんな気持ちでいたって良いような気がしている。
さみしいの、無理に掻き消そうとしなくたって良い。
とても大切だったんだもの、全力で、悲しみたい。