痩せたけれど

体重30kg台になってから、ときどきものすごく増えたり減ったり・・・安定しない。
筋トレはどんどん負荷をかけていっている。
食事は、やっぱり、吐いてしまう事が多い。
鏡で見る自分の身体、まだまだ太っているような、もうこれ以上痩せると不気味かも・・・と言うところで揺れている。
主治医には「拒食症、引き返すなら今のうちだよ。今はとりあえず、体重を維持する事を心がけて」と言われている。



自分でも、どうしたらいいのかわからなくて。
単純に「体重が増える」事がこわくてしかたない。

生まれてこなかったあの子は今しあわせ?

母に、
「わたしがおなかにいる頃に、発達障害だってわかってたら、産んでた?」
と聞いたら、
「産んでないよ」
と言う答え。


複雑な気持ちにはなったけれど、悲しくはなかった。
母は知っているから。
わたしがうまく生きられなくて、苦しんでいるの、母は見てるから。
「だって、本人がかわいそうじゃない?」
って。



わたしは、基本、人間は生まれてこないほうが幸福だと思っていて、生きることは、苦しくてつらいことが多いなって、「業」だなって、いつも思っている。
でも現実、生まれてきちゃったんだから、もうどうしようもない、楽しんでいくしかない、なるべく幸福でいよう、と、なんとなく、今は思えてるけれどね。


わたしたち夫婦が子供を産まないこと、
わたしも夫も、手放しで「生まれてきて良かった」と思えない人間であること、わたしも夫も、何らかの障害があること、人格的にも、経済的にも、あと、この先の世界のこと、考えていくと、うん、わたしたちは子供を産まない、ね、と結論が出ていて。
それでも、大好きな人と出会って、結婚して、本能なのか?「子供がほしい」と思っていたこともあった。
そのことでたくさん泣いたことがある。
それを知っている(子供のいる)友人らで、わたしを「かわいそう」と言う人もいる。
「知人に、ダウン症の子供がいる人がいるけれど、幸せそうだよ」
と言われ、かなりびっくりした。
いや・・・
「幸せそう」って、そりゃ、よそから見たら、そう見えることもあるかもしれないけれど・・・
当人たちは大変な苦労があると思うんだよな。
そういうところまで、想像力が及ばない人と、子供を産んだほうが幸福は否か、話し合うべきじゃない。
その人と話した翌日、わたしは熱を出して寝込んでしまった。
正直、しばらく会いたくないなあ、なんて思いながら、結局、今年は一度も会わなかった。それで良いと思う。



「子育て」に振り回され、疲弊している知人がいて。
そんなのは、産む前に想像できそうなことであるし、ひとり産んで、また産んで・・・
その間、何を思って、ここまで来たのかなって疑問もあって、でも、まあ、よその家のことなので、なんとも言えないのだけど。
それでも、その「苦労」を、「善行」だと、意味のあることなのだと、思いたいのだろうな、という必死さも感じる。
そりゃあ、そうだろうな。
置かれている状態が、ただただ「つらい」だけでは、本人は不幸だ。
その彼女が、ある人の「障害者である子供を産んでしまったことを長い間、受け入れられなかったけれど、最近そうでもなくなった」というような内容の本?記事について、何かコメントしていたな。
きっと「美談」になっているんだろう、その結論は。



夫が「哲学で、人間は、生まれてこないほうが幸せである、という結論を出している人がいるんだよ。生まれてしまったら、たくさん苦労があるからね。でも、生まれてこなかった人が、本当に幸せかどうかは、データがとれないから、論理的な話としては成り立たないんだよ」みたいなことを話していた。
「生まれてきたくなかった、って言うと、じゃあ早く死ね、とか、自殺しろ、とか言う人もいるけれど、そういうことじゃないんだよね。生まれてきたくはなかったけれど、生まれてきてしまった以上、幸福になるように、生きていこうとするんだよね、人間は」という話もしていた。
すこし安心した。
最近、夫がうれしそうに「外で、奥さん(わたしのこと)の話をよくするんだけど、ふつうの家庭ではこんなに夫婦でたくさんおしゃべりしないんだって。うちは仲が良いほうなんだって」と言っていた。
そっか。
わたしは、今、けっこう幸福です。



母がきのう、
「あなたを、産まなければ良かった、と思ったことはないよ」
と言っていたよ。
ふふ。

猫のこと

愛猫が死んで、もう半年以上経っていて、それでもわたしは「死んで、いなくなってしまう、もう会えない」ことが、理解できないというか、「そういうもの」として整理ができない。
毎日、思い出すし、毎日、会いたいし、触れたい、だっこしたい。
だっこしたときの、ふにゅっとした感触とか、抱かれている猫の「ふんぐっ」と思わず漏れてしまうマヌケな声とか、忘れたくなくて、とにかく、会いたくて、でも、もう、いなくて、もう会えなくて、さみしくて、悲しい。



祖父母が他界したときの悲しみとは、まったくちがう。
本当に、心にぽかんと穴が空いているみたいで。



自分が死んだとき、その先で、また会いたい人に会える、って信じてきたけれど、猫についてはそう思えない。
猫は、なんだかとっても、天使みたいな子で、不思議な存在だったから、みんなの行く「天国」とは、またちがうところへ行ってしまったような気がして、わたしはきっと、死んでも、そこには行けない気がして、だから、もう会えないんだけど、なんだかよくわからないけれど、そっちで、猫は、楽しく、幸福にしているよって、言い聞かせて、いろいろごまかしている。



埋まらない穴が、ポコポコ、自分の中にはあって、適当なものを押し込んでは、ちがうなあ、と虚しくなって。
何が正しいのかもわからないまま、何もしっくり来ないまま、きっと人生は終わる。



すぐ、めそめそしてしまって、立ち止まってしまうな。
夢でもいいよ、会いたいな。
会ったら、なんて言おうかな。
「もうどこにも行かないで」
って言っちゃうかも、でも、それは無理だよって言われそう。



どこか知らないふわふわしていて居心地の良いところで、美味しいものたくさん食べて、やさしいなにかにだっこされているといいな。

タイムリミット

ざわざわしてきている最近、何へもなかなか興味がわかず踏み込めないでいるものばかりで、どうしよう・・・と途方に暮れていたのだけど、2年前?くらいから、友人のおかげで趣味が広がり、自分でもそれを少し、体験したいような、入門したいような気持ちにもなって。
だけど時間は有限で、急がなくては、と焦燥感。



もうすぐ40歳になる。
それまでに、達成したい事がいくつかあって・・・
まごまごしているうちに、時間は無くなっていくので、とにかく、少しずつでも、踏み出していかねば。



埋まらない、自分の中の、家系図、自分のルーツに不明な点がいくつかある事、そこでどうしても、しゃがみこんでしまう事、ときどきは気にして探ってみようかと考えたり、こわくて逃げ出してしまったり・・・



同じ家庭環境で育った兄は、
「なんでも○○過ぎるのは良くない、考え過ぎるなよ」
と言う。
兄は、会社員で、毎日通勤して、生活している。
その中で、わたしみたいに、へたり込んでいる時間なんか、ないのだろうし、日々の生活でいっぱいだと思う。
はっきり言ってしまえば、わたしとは、生き方が違うんだ。



母はいつもわたしを心配してくれている、兄はわたしを認めてくれている、夫はわたしを愛してくれている、友人たちはわたしを許していてくれている。
それは、きっと、自分を立ち上がらせるのに、必要な、力だと思う。自分にとっての足場というか。
だけど、わたしは、母の人生、兄の人生、夫の人生、友人たちの人生とは違う、自分の人生を進んでいかなくちゃいけない。
さみしいけれど、結局、泣きじゃくってたって、わたしに、手を差し伸べて、引っ張り上げてくれるのは、わたし自身しかいないのだから。



カウンセラーさんに「あなたは、詩を書いたら良い」と言われた。
文章を書く事、言葉を紡いでいく事は、好きだ。
最近ハマっているジャンルの本を、今日は音読してみた。
とても良い心持ちだった。



わたしは、わたしの物語を生きる。

変化

身長149.5cm(学生時代より1.5cmのびてた)
たぶん自分史上最高体重、
2017年5月時点で、52.4kg!!
が、
2017年10月時点で、43.3kg!!


がんばった!
お酒をやめて、筋トレと食事制限、便秘薬乱用。



毎日の筋トレメニュー
スクワット30回
二の腕をねじる100回
両脚をパカパカ100回
片脚をパカパカ左右50回ずつ
仰向けになって脚を上げ下げする腹筋30回
うつ伏せになって上半身を上げ下げする背筋20回
その場ジャンプ200回
を、1日2〜3セット



食事は大体お昼だけ、1日1食。
薬の副作用で便秘がちなので、便秘薬を飲むようになってから、食べた分そのまま帳消しになってるのでは!?くらいの体重の減り様だったので、身体には良くないとはわかっていながら、日中も、夜中も、便秘薬をたくさん飲むのが癖になってしまっている。
あと、ときどきやっぱり過食嘔吐したくなる事があるので、吐くために食べてもどしている時もある。
軽い摂食障害気味になっているのかもなあ。
前ほど、すごい食欲はないので、少しほっとしているけれど。


とりあえずの目標は体重38kg!

少し上を向いて

断酒して2ヶ月、3ヶ月、経ったか?
断酒と同時に、筋トレも再開、お酒飲まなくなったおかげで過食も抑えられ、自然と食事制限している風になり、2ヶ月で体重が7kg近く落ちた。
身体が健康になってくると、心も健やかになるのか?
なんだか気持ちが上向きに。
夫はずっと優しいままでいてくれている。



愛猫が亡くなる前後辺りに、実家で暮らし始めた兄も、未だ実家暮らし。
週末、テレビを見に(我が家にはテレビがないので)実家へ行くので、兄ともよく顔を合わせていて、それもなんだか、安心要素である。



2年ほど前に、仲が良かった人に、突然「あなたは人の気持ちを考えてない」などと激詰めされて、「え?え?わたしが悪いの!?」と混乱、共通の友人たちに相談したところ、「Marbleちゃんは、人の気持ち、ちゃんと考えてるよ!その子がなんか勝手に思い違いしてるんじゃない?」と言われ・・・
そのあと、ずーっとその子の事でモヤモヤしていて・・・
共通の友人たちの話を聞くに「Marbleちゃんのこと、かなり悪く、盛って愚痴ってくる。でもわたしたちは、Marbleちゃんのこと、ちゃんと知ってるから、その話に乗らないでいるんだよ」と言ってくれ・・・
ほっとしたり、なんとなく、その子に腹が立ったりして・・・
それがきっかけなのもあるかもしれないけれど、共通の友人たちも、あんまりその子に会わない(ようにしている)でいるみたいで、わたしとしては、ちょっと安心しているところではあるんだよな。
あんまり良い話ではないけれど。
でも、信頼している友人たちが、ちゃんとわたしの言い分を理解してくれているように思える事はうれしい事なので、友達って大事だなあ、としみじみ、ありがたく思う。



思いやりながら、素直に、真摯に、ひねくれないで、楽しい、うれしい、話を、していけたらなあ、と思う。
どんな人とも。
誰とでもうまく付き合える人間ではないので、難しい事ばかりだけど。
でも、今、わたしを「好きだよ」と、許してくれる人達を、大事にできたらなって思う。

アルコール中毒

愛猫が死んでから、ふとそのさみしさに襲われると、正気を保てない気がして、それを掻き乱すように、1日に約2リットルのお酒を、毎日飲んでいた。
クリニックへ行くにも、カウンセリングを受けに行くにも、事前にお酒を飲んで行っていた。
それは、主治医に話したら、注意されるのでは・・・と思い黙っていたけれど、カウンセラーさんには正直に話していて、「それを、良しとは思えないけれど、でも、飲まないと、ここに来られない、人と話せない、あなたがいるのね」と言われていた。
お酒を飲むと、緊張が解けるような、ふわふわとリラックスできるような、そしてモヤモヤ考え込む時間を早送り(短縮?)出来るような、しんどい気持ちから解放されるような気がしていた。



ある週末、実家でビールや酎ハイのロング缶を4本ほど飲み、自宅に帰ってからも、ワイン小瓶を2本、飲んだ。
その後の記憶はあやふやで、仕事から帰ってきた夫に、相当鬱陶しく絡んでいたそうだ。
夫は「翌日、資格をとるための試験があるので、勉強をしなくてはいけないから、邪魔しないで」と何度も言っていたようだ。それでもお構いなしに、わたしは夫に「今日は週末だから!(お酒を飲んで酔っ払っても良い)」と何度も何度もうるさく絡んできたそうだ。
記憶にないのだけど、何度も何度もごはんを作り、それらにはゴミや髪の毛?などが入っていて、夫いわく、わたしはとにかくひどく酔っ払っていたようだ。
夫がついにブチ切れ、わたしははっ倒された。
殴る、というところまではしなかったと思うけれど、乱暴にぶつかられ、顔をつかまれ、何度もはっ倒された記憶、は、あって、身の危険を感じて、わたしは警察に「夫に暴力を振るわれている」と電話をしてしまった。
警察の人に「そちらに行きましょうか?」と聞かれたのだけど、ふっと、「夫が勉強しなくてはいけない、と言っていたから、警察が来て余計な時間をとってしまったら申し訳ないな」と、変な風に正気に戻って、「来なくていいです」と電話を切った。
その後、わたしは、眠ってしまったらしい。
朝起きたら、体中アザだらけ、携帯には、兄からの着信が夜中に何度も。
「きのう夜、電話した?寝てて気づかなかった」と兄に返信、したものの、反応がなかった。
そして、夫と顔を合わせて、「兄から夜中にたくさん電話が来てた」という話をしたら、「何もおぼえてないの?」とびっくりされた。
わたしが泥酔して寝てしまった後に、警察から、実家の方へ連絡が行き、兄が夜中に、家へ来てくれたのだ。
夜中のインターホン、夫は無視していた。
そしたら、兄が合鍵で入ってきて「殴り込んできた」らしい。
夫は兄に「あした試験だから勉強しなくちゃいけない」と説明して、兄は、わたしが寝ているのを確認して、帰って行ったらしい。



その後、とにかく、謝った。
夫、兄、母に、謝った。
夫は、「結局、試験は落ちた。おまえのせいで駄目になった。許せるわけないだろう」と言っていた。



わたしは、もう、しばらくはお酒をやめることにした。
その時は、本当に「しばらく禁酒」のつもりでいた。
のだけど・・・
お酒をやめた途端、震え、発熱、頭痛、腹痛、神経過敏、に襲われ、困惑した。
気が狂いそう!これはいよいよ、おかしい!
と思い、クリニックで主治医に説明したら、「完全にアルコール中毒の禁断症状が出ているから、アル中の治療をした方が良い。1ヶ月くらい入院する?症状が治まってからじゃないと、家族以外の人と会ったり、外に出かけては駄目。旦那が何と言おうと、平日の昼間とか、ひとりになったら、お酒を飲んでしまうかもしれないから、お母さんのところにいなさい」と言われてしまった。



確かに、ここ数ヶ月は、お酒をよく飲んでいる、という自覚はあったけれど、まさか、中毒になっているとは思わなくて、本当にショックだった。
その後、アル中治療について、母と共に、主治医に相談に行き、その頃には、悪い症状がだいぶ落ち着いていたけれど、「入院するほどでもないけど、区でやっている、アル中の人達が集う、断酒会、と言うのに行ってみたらいいかも?」と言う話などした。



アルコール中毒について、少し調べたら、もう、一度なってしまったら、10年、20年、断酒していても、一口飲んでしまったら、またすぐに悪い症状が出るようになるらしい。
わたしは、一生、お酒を飲まないと決めた。
我ながら、情けなかった。



猫が死んでしまったさみしさから、と言うのは、きっと、アルコール摂取の理由のひとつに過ぎなくて、わたしは、人と会う時、慣れない事をしなくてはいけない時など、とにかく、自分の弱い部分をカバーするため、お酒を飲んでいたんだろうと思う。



その後のカウンセリングでは、自分にはなぜお酒が必要だったのか、飲まないでも大丈夫な精神状態でいるためには、など、話し合い中。



日中の、そわそわする感覚を抑えるために、主治医からは、セパゾンと言う薬が処方された。
夫いわく、セパゾンは依存性が高く、断薬が大変な薬らしいので、本当にそわそわしてつらくなった時にしか飲まないようにしている。
そわそわする感覚は、なるべく、副作用の少ない抑肝散でなんとかしようと思っているところ。
あと、時によって、良い状態になったり悪い状態になったりもするけれど、カフェインを摂ったりしている。
(カフェインも、本当は控えた方が良いんだろうな、とは思っている)




断酒して1ヶ月以上経った。
もともとお酒の味が好きだったわけではないので、そして、今のところは、家族や、気心の知れた友人たちにしか会ってないので、なんとか、お酒を飲まなくても大丈夫でいられている。



断酒して、禁断症状抜けるまでは辛かったけれど、その後はなかなか良いコンディションではいる。
夫が、とても優しくなった。



そして、結局、自分の弱さに、どうしても向き合わなくてはと、落ち込んでもいる。



何を、と言われると、ぼんやりしてしまうけれど、がんばって生きていくしかない。