子供のこと

今日は、人に会いたくない気分だ。
すぐ後ろで、夫が寝ているけれど、出かけるなら早く出かけてほしいけれど、でも、夫は特別かまってくることもそんなにないので、まだいいな。
母とは、もうきっと、いっしょには暮らせないな。
だれとも、夫以外の人間とは、いっしょに暮らせない気がする。
子供なんかいたら、大変だろうな。


わたしたち夫婦、子供がほしいと思うことが、なかったわけではなかった。
付き合いたて、夫は「俺は絶対家庭を作らない。結婚もしない」と言っていた。
だけど、だんだんと、自然と、結婚を意識していって・・・
ある日、夫が「Marbleが、子供が生まれそう、と言って、タクシーを呼ぶ夢を見たよ」と言っていた。
夫は、わたしとの子供がほしかったことも、あったんだろう。
わたしも、夫との子供がほしかったことがある。
夫の幼いころの写真を見たとき、胸がぎゅうっとなった。
ああ、この子を、だっこしたいなあ!と強く思った。
だけど、わたしたちは、子供を作っちゃいけないね。
わたしでも、夫でも、ない、個としての「子供」を、きっとわたしたちは、正しく愛せないね。


子供がほしくて、だけど、たぶん、だめなんだ、と強く自分に言い聞かせて、大泣きしたこともある。


主治医に、結婚するってときに「子供を作る時は事前に相談してね」と言われたことがあって、「Marbleさんは性格的に、子育ては無理かもしれないよ」「発達障害などの遺伝子情報、ぜんぶ子宮に行くからね」と言われて、ああ、だめなんだな、と思った。
実の母にも「あんたたちは、子供作るの、やめときなさいよ」と、何度も言われた。


そのときの自分の気持ち、思い返すと、きゅうっとなる。
このあいだ、兄と話していて、
「子供、ほしいと思ったこと、あるんだけど、お医者先生にも、遠回しにだめって言われてるし、あきらめた」
みたいなことを言ったら、兄がしみじみ、
「それは、つらかったね」
と言ってくれて・・・
今思い出しても、ちょっと泣きそうになるなあ。
「(夫)が、それ(子供を作らないことを)を受け入れてるのが、えらいよな。理解があって良かったよな」
と付け加えて。
ほんとうに、そうだなあ、と思った。


結婚したら、子供は作るもの、
それがふつうだって、思っている人は多い。
わたしたちも、最初は、なんとなくそう思っていたもん。
だけど、思いとどまった。
それで、今は、良かったんじゃないかって思える。
「子供のいる10年後」
「子供のいない10年後」
考えたことがあった。
そのときは、子供のいない10年後、さみしいかもしれないって、子供を作らなかったことを、後悔するかもしれないって思ってた。
だけど、10年後、「子供がいなくてさみしい」思いをするのが、自分たちだけで良かったって、思うんじゃないかなって、今は思う。
わたしと夫、お互いに、出会えて良かった、結婚して良かった、って、強く感じてるけれど、だけどふたりとも、「生まれてきて良かった」とは思ってない。それはきっと、この先も、ずっと、そう思えないと思う。
どこかで読んだつぶやき、
「自分の生を愛せないのに、子孫を残そうだなんて」
これ、まったく、そのとおりだなって思った。
「生まれてきて良かった」って自分自身が思えないのに、子供なんて生めない。かわいそうで。


いいんだ、わたしたちは。
気の済むまま、ふたりで。
そのうち犬や猫を飼って、気ままに。(それも責任感、必須だけど)
できるだけ、心配事を少なく、暮らしていきたい。


ときどき、どうしようもなく、虚しさに襲われるのは、自分の輪郭を見失うから。
夫がいれば、わたしは、わたしが存在していることを実感できる。
それって充分過ぎる気がして。
ひとり、ぼんやりと輪郭を失ったまま、漂うのも、仄暗くて心地良いようなときもある。
今日はコーヒーを多めに飲んでしまい、胃はもたれて、体調的には少し気持ち悪いけれど、気分的にはふわ〜っとしていて、ひとりでこうやって、じっくり文章を書ける時間があって、いい気分だ。


今とても幸福なのでは、と思える。
良かった。